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【EXIT兼近】罪悪感で生きるのが辛い・・人はいつ赦されるのか?罪は清算できるのか?

EXITの兼近さんの過去の犯罪疑惑が再注目され、Twitterで話題になっています。

https://twitter.com/kuikaink/status/1621037736718381056?s=20&t=EufvPse4XqLDfCvWC8BApQ

兼近さんがどんな犯罪行為を過去に行っていたのかは知りませんが、セカンドチャンスは誰にでも与えられるべきだし、過去に間違いを犯してしまった人を受け入れ、彼らが更生できる日本であるべきという意見に僕も賛成です。

しかし疑問に思いませんか?

兼近さんは誰に赦(ゆる)されないといけないのか?
どうやったら罪を清算できるのか?

目次

罪の赦しは誰から貰えばいいのか・・

一般的に加害者は、被害者やその家族に対して謝罪して、罪の赦(ゆる)しを乞うと思います。

しかし加害者は被害者に対して赦しを強要できません。何千回、何万回謝ったって、被害者が赦さないと決めれば、加害者は赦しを受けとることはできないでしょう。

そして罪の償いは、加害者が法に基づき裁かれて課されたペナルティ(例えば罰金や死刑など)を全うすれば終わりだと考える人もいるかもしれません。しかし加害者が罰を受け反省し努力し更生し罪の償いをしたとしても、過去の罪は消されないし、被害者が奪われたものは完全な形では返ってきません

例えばあなたの親が殺されました。いくら加害者が金を払おうが、牢獄で苦しもうが、死刑になろうが、殺された親の命は戻ってきません。

あなたの家に強盗が入りました。罰金と慰謝料を払ってくれるかもしれません。しかし強盗のせいで負ったトラウマや人に対する不信感は盗まれた物が返ってきても消えることはないでしょう。

被害者から完全な赦しを受け取ろうとすることは難しく、また犯してしまった罪は消えないので、罪の清算も完全にはできない。

だからこそ赦すべき、赦さないべき、で意見が分かれてしまうのは仕方ないと思うんです。だって赦すのも赦さないのも被害者側からしたら自由なんですから。

世間と加害者の関係性

しかし本来被害者でもないはずの人たちが、全く関係のない加害者に対して赦されるべき、赦さないべきと意見を述べているのも不思議な現象ですよね・・

なんでなんだろう、って考えた時に思い出したのが、有名な方が不祥事を起こしたときに、謝罪でよく使われるフレーズ。

世間をお騒がせしてすみません。

世間をお騒がせした・・・!?・・から謝る!?・・どういうこと??

世間とはなんぞやと思い調べてみたら

世間(せけん)とは、インド発祥の宗教における用語であり、出世間(しゅっせけん)とあわせてこの世を二分して見る言葉である。移り変り、破壊を免れない迷いの世界という意味である。さらに、日本ではこの用語は一般名化して、「この世」「世の中」「社会」のことを表す用語として使われている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%96%93

「この世」「世の中」「社会」つまり僕達が生きている世界。ってことはこの記事を読まれているあなたも、書いている僕も、なんかよくわからないけれど有名な方に幾度となく謝られてるんです。

世間をお騒がせしてすみません = あなたの平穏な日常に気分の悪いニュースを振りまいてごめんね

こんな風に謝られることに対して違和感を感じるし、危険な言動をされているなと思います。

今回話題になっている兼近さんも、

家庭は持てません。それは世間が許しません

と発言されているのですが、個人的に兼近さんの過去も現在もよくわからないし、接点もないし、ファンではないけど、世間が許さないってどういうことなんだろうって疑問が湧いてきます。

裁いてもいい権利

あんまり知らない人なのに、突然謝られたり、許されないよね、とか言われたら、こちら側としては赦すのか、赦さないのか選択しないといけないような気がしませんか?

兼近さんは今まではただの”テレビで活躍しているお笑い芸人”の認識だったのに、突然僕や我々に”迷惑をかけている加害者”のような存在になる。

今まで関係のなかったはずの人たちも、この世間という言葉に巻き込まれて、加害者を赦すべき、赦さないべき、もっと反省させるべき、と意見を述べたくなってしまいます。そして大抵の場合、加害者が不特定多数の方から叩かれ、炎上してしまうんですよね。

日本ではよくある炎上パターンですが、実はこういった現象は日本だけで起こるわけじゃないんですよね。

近年だとキャンセルカルチャーやMe,too運動の活発化で、

世間的に間違ったことをしていたら、被害者や加害者と全く関係のない人でも、加害者を攻撃していい権利がある!

という流れが加速しているように感じます。ただ、歴史を振り返れば、他人を裁いてしまう問題は昔からあったのです。

約2000年前に起こった不倫事件

約2000年前、イスラエル東部の都市エルサレムで不倫の罪で捕らえられた女性がいました。不倫したものは石で殺されるべき、という法律を信じていた民衆は、この女の人を殺すことになんの違和感も感じていません。女の人は見ず知らずの人たちから不倫の罪を責められ、石を投げられ殺されそうになっていました。

不倫の罪で捕らえられた女性が今にも石で打ち殺されそうになっている、それを見た神の子イエスが言いました。今回のキーフレーズです!

“Let him who is without sin among you be the first to throw a stone at her.”

あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい

ヨハネの福音書 8:7 JOHN 8:7

石を投げてもいい!つまり、批判してもいい、攻撃してもいいよ、ってことですよね。神の子が殺人を容認しているんではないか?と疑問に感じる人もいるかもしれませんが、条件がありました。

攻撃したり批判していいのは、罪のない人だけ!

正しいこと、悪いこと、本当はわかってるけど、悪いことをしちゃうのが人間の弱さで、イエスは罪のない人間などいないことは分かりきっていました。

だから今回のフレーズでイエスが教えようとしているのは

人のことを赦さない、赦すべきではない、と誰かを批判する前に、まずはあなたが犯してしまった罪を思い出してみなさい・・

と言うことです。

結局この不倫をした女性は、その場にいた民衆が自分も罪人だったと認め、去っていたので、生き延びることができました。

その状況でイエスが女性にかけた言葉も考えさせられます。。

“Woman, where are your accusers? Did no one condemn you? Neither do I condemn you. Go and sin no more”
女の人よ、あなたを責める人はどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。

ヨハネの福音書 8:10-11 JOHN 8:10-11

罰則を与えることも、責めることもなく彼女を赦し、これから罪を犯さないようにしなさいとアドバイスを送ります。

物語が見たい方はどうぞ

他人を責めてしまうとき、自分を棚に上げている可能性・・

私は真面目に生きてきました。警察に捕まったこともなければ、親に怒られたこともありません。ずっといい子で生きてきたんです。悪者が改心したからってチヤホヤされるのはおかしい!!反省して更生するのはいいけど、表舞台には出てくるべきじゃない!

たまにこういうことを言う方がいますが、その人は自分自身を客観的に見れていない可能性があります。自称”真面目にいい子で頑張ってきた私”で生きてきたことは素晴らしいことですが、罪を犯さないで生きることは不可能だと僕は思います。犯罪を犯すことだけが罪ではないのです。人を殺せばもちろん罪ですが、人の悪口を言うことも同じように罪です。

嘘をつくことも罪です。そして人を裁くことも罪です。TwitterやSNSで他人を裁き中傷する行為だって立派な罪。

罪に大きいも小さいもありません。自分の物差しで自分の罪を最小化することはできません。

もし過去から現在に至るまで、あなたの行動や言動全てをカメラが捉えていたら、人から批判されてしまうようなことが見つかってしまうのが僕らの姿だと思います・・

僕たち人間は自分の行った悪いことには目を瞑り、他人が行った悪いことに対しては全力で裁き批判してしまう習性がある・・そのことに気づいた時、僕たちはお互いに対してもっと寛容になれるのではないでしょうか。

あなたの過去をもし誰かがカメラで追っていたなら、あなたが批判している人と同じような間違いを
あなたもたくさんしてきたんだって気づくと思うぜ・・

罪悪感から解放されるには・・

誰に赦(ゆる)されないといけないのか?

罪人同士の僕らが、お互いを裁き合う姿は、神様から見ると滑稽かもしれません。なので僕はまず罪を赦す力のある神様から、赦しを受け取るべきだと思います。なぜなら神様は約束してくれています。

If we confess our sins, he is faithful and just and will forgive us our sins and purify us from all unrighteousness.もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

第1ヨハネ1:9, 1 John 1:9

神様にはあなたを赦す権利があります。もちろん被害者の方にも謝り自分の犯した罪と誠実に向き合う必要はあるでしょう。もし被害者の方から赦さないと言われたら、被害者の回復を祈り、赦されるのを待つべきでしょう。そして世間から赦しを乞うことは間違っているかもしれません。それは我々も同じ罪人なので、あなたを赦す力もなければ、責める権利もないからです。

どうやったら罪を清算できるのか?

神様から罪の赦しをもらい、被害者に最善を尽くすことしかなさそうです。自分の力では罪の清算ができないからこそ、罪のない神からの赦しをいただくことが必要なのです。過去を変えられない我々は、自分のしてしまったことや口から出た言葉を完全に取り消すことは不可能なのです。

あなたは神様に赦しを乞いますか?それとも世間や人に赦しを乞いますか?

EXITの兼近さんが神様から赦しを乞い、罪悪感から解放されて生きていかれることを、願い祈っています。めちゃくちゃ大きなお世話だとは思いますが・・

自分の兄を間違って殺された弟さんが、加害者を赦すこの動画は涙なしで観ることができません・・↓

本物の赦しとは・・

もしあなたが罪悪感を感じていて、罪の赦しが必要ならば、近くの教会へ行ってみて下さい。

教会に対して安全なのかどうか心配される方も多いと思いますから、カルト扱いされている、エホバの証人、モルモン教会、統一教会は避けてください。おすすめは、プロテスタントの教会です。困ったら直接メッセージください!

”近くのプロテスタント教会”で検索すれば、ネットから教会を探せます

よかったら教会音楽についても読んでみて下さい。

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最後まで読んでくださってありがとうございます!

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この記事を書いた人

はじめまして、Ayumuです。
鹿児島県出身、5人姉妹3人兄弟の大家族の長男、実家はキリスト教の教会。
19歳の夏ワーホリでオーストラリアへ。英語のかっこよさに気づくのと同時に、あまりの難しさに絶望、一年で退散。英語を話したい気持ちは溢れ出すのに、単語が思い出せず、文法もわからない、会話の早さに脳が痛み、喋らないクールなキャラを演じてみるも、つまらなくなり、また話してみるも、やっぱり伝わらず、お風呂でガチ泣き反省会。そんなサイクルを繰り返しながら、英語を学んできました。チリも積もれば山となる、勉強した成果が少しずつ出始め、現在はアメリカの大学(Oral Roberts University オーラルロバーツ大学)を卒業しフリーランスとして奮闘中。

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